育児ノイローゼを経験したからこそ見えた世界について
短大を卒業して二十歳から十年間、保育の現場に立ち続けた彼女。三百人を超える子どもたちの担任を務めても、一度も子どもにイライラしたことはなかったという。けれど、自分の子を授かったあと、これまで知っていたはずの世界の見え方が静かに変わっていく。育児ノイローゼを経験したからこそ見えた景色について、いまだから語れる言葉で振り返ってくれた。
「向いている」と思っていた仕事と、わが子の前で揺らいだもの
子どもにかかわる仕事がしたくて、ずっと幼稚園の先生を目指していた。毎朝「おはよう」と飛び込んでくる子どもたちをハグする時間が、幸せでしょうがなかったと彼女は話す。けれど育児ノイローゼを経て、ふと気づいたことがあった。「私が彼らにハグをしてもらっていたのかな」。手をかける側だと思っていた自分が、実はその場所でずっと満たされていたのだと、あとから腑に落ちたのだという。


眠れない夜と、わが子へのイライラに戸惑った日々
息子のアトピーが重なり、夜中に肌を掻く音で目が覚める。眠りの質が極端に落ち、日中も目を離せない。十年間、子どもにイライラしたことがなかったのに、なぜわが子にはこんなにイライラするのだろう——そう感じる自分自身が、何よりショックだったと振り返る。知識があるからこそ「こうしてあげられたらいいのに」と、できていないことばかりに目が向いてしまった。やがて手をあげてしまったこともあったと、彼女は言葉を選びながら打ち明けてくれた。
「かわいそう」という言葉と、自分を後回しにし続けた苦しさ
外に出れば「大変ね」「かわいそうね」と声をかけられ、その言葉がそのまま自分のなかに刷り込まれていく。好きな服やヒール、長いピアスも「子どものため」と我慢を重ねていた。こんなに頑張っているのに、よくならない。誰にも本当のつらさは言えず、出かけて動けているぶん、まわりにも自分にも気づかれにくかったのだと語る。

写真というフィルターに、救われていた
そんな日々のなかで、彼女が無条件に「かわいい」と思えたのが写真だった。カメラの画面を通すと、目の前の出来事をただの事実として残してくれる。「そこに感情がワーッと入り込むのをストップしてくれる」——感情のコントロールがきかなくなる瞬間、写真というひとつのフィルターが大切なストッパーになってくれたのだという。自分を後回しにせず、好きなものを身につけて外側を整えることが、内面を引き上げてくれた。あの時間があったからこそ、いまがある。そう穏やかに笑う彼女の言葉には、同じ場所で苦しむ誰かへのまなざしが静かに宿っていた。





